旅の仲間

abesada1.hatenablog.com

上のエントリーを書いた後で、第7話の美津井さんのことを思い出した。

萌とカラオケに行った日の別れ際に美津井さんは*1もし楽し過ぎて家に戻りたくなくなったらどうしようと心配していた、と述懐した後、でももう大丈夫、「本当の友達を手に入れた日は 帰り道まで楽しくなるってわかったから」と微笑む。

もしそうならば、戸波にとってこれからの人生は長い長い帰り道なのかも知れない。わたしには、いつか年を取った戸波が「アタシの人生も不幸ではなかったよ」と微笑むのが見える。

 

けれど、萌や美津井さんほど強くはない私の脳裏には、すぐに権藤木の言葉が思い浮かんでしまう。11話で権藤木は、「おめでたい人ね 自分一人の気の持ちようで何かが変わると思ってるなんて」と萌にあきれてみせる。彼女の言葉が真実であることはこの後のエピソードで証明されてしまうが、たとえ状況が変わらなくとも自分の気の持ちようは自分次第なのもまた事実であることが、やはりこの回から登場する向井さんによって示される*2

正反対の真実や複数の事件の顛末が同時進行で明らかにされていく語りは、「かんかん橋」前半の魅力の一つであるとおもう。終盤のスピード感ばかり取り沙汰されるけれども、前半の作劇は本当に高度だと思いますよ*3

 

*1:このとき萌は権藤木も誘った方が良かったのかと気にしているが、権藤木って何を歌うんだろう。

*2:そして、「気の持ちよう」が実際の状況に通用する範囲でどうにかやって行こうとするのが、さらに後の橋掃除と北ノ口編で語られる鮎とまむし姑嫁(おやこ)の生き方だろう。

*3:逆に43話以降は鹿月の再登場や竜王丸の登場に前後して権藤木や美津井さんをいったん退場させるなど、話が複雑化しないようにする工夫が見られる。この意味に限れば確かに前半と後半は違っているが、それは語りの作法の変化や主要人物の交代ということで、ストーリーやテーマに断絶があるということにはならないと思う。ついでに言うと、少年漫画語法を取り入れているのもかなり初期からのことではないか。ライバルにはその強さを見抜かれているが、自分では気づいていない主人公もそうだし、まむしの「畑」をめぐるあれこれも任侠モノとか不良モノのロジックだろう。総じて言えば、「かんかん橋」に視点の拡大はあるが断絶はない。そのことと、読み始めた時には予想もしなかった展開になることとは別な話だとおもう。そもそも、この作品のテーマの一つに「真実を受け入れること」があって、そして真実は常に予想を超えたことなのだ。