シェアしたいのは記事か感情か

「秀逸」だの「良記事」だの偉そうにジャッジしてんなよ「自分は面白かった」と言えよと思う時と、あんたの感想なんか誰も聞いてないよと思う時があってそのちがいは何なのか不思議である。ただ一つ言えるのは、わたしは異常に心が狭いということだろう。

そうは言っても、「秀逸」はやっと見なくなったので良い傾向だとおもう。「秀逸」はかなり程度の高い賞賛の言葉だと思うので本当に秀逸なものを見た時はどう形容するんだとか、秀逸だと判断する割には「秀逸」の一言をぶんなげて十分礼を尽くしたと思えるんだなとか、そういう疑問が多々あって見るたびに落ち着かなかったのである。