決して死んでなどいない物語

「かんかん橋」のストーリーテリングは、丁寧に事実を積み上げていく手法と、小さな飛躍の心地よさを与える手法とをバランス良く配置しているのが特徴だとおもう。

前者の例としては蕗江と萌のすれ違いがあって、第28話では蕗江が本当は一緒に食事がしたいことを言い出せず、一方の萌も持ち込んだ食べ物のことだと早合点して去って行く挿話が描かれる。こういう下準備のようなエピソードがあるから、後にトキ子の言いなりにさせられる蕗江が苦境をうったえることが出来ず、萌も本心を見抜けない状況が、ふたりの性格もしくは関係としてすんなり納得できる(直接的な理由は杉代の監視だろうけれども)。

同じことが産院に萌を訪ねる美津井さんにも言える。美津井さんは出がけに由衣の手にちょんと指を触れて握手をしてゆく。彼女はいつも我が子とこうしたふれあい方をしているから、とっさの場面でああした行動に出られたのだと納得できるのだ。

小さな飛躍というのは、例えば彼女の強さについて萌に語りかける千春の言葉が、萌ではなく小屋の外にいる老人たちの心を動かすといったことであるが*1、両方の要素を兼ね備えて圧倒的なのが、54話で千春の機転を評価する不二子の思考がそのままトキ子の恐ろしさにつながっていくところである。唐突な展開に驚く読者にさらに不意打ちのように物語の核心が提示され、あのくだりは読んでいて本当にぞくぞくした。

*1:あの場面は、単に千春への同情だけではなくて、もっと大きなものへの意志が老人たちの心に呼び覚まされており、それが後に萌のアジテーションに応える素地になったとも解釈できる。だとすれば、ここも小さな事実を積み上げていく手法でもある