他人を理解するのはとても失礼なことではないのか

オウム関連の事件を振り返る際、その教理や麻原の心性よりは入信した人々のプロファイリングに関心が集まるのはちょっと面白い。オウムの教えや麻原という人物は異常すぎて検討する価値もないということなのだろうか。

ネトウヨは若者だったとかいや中高年だったとかいう話でもそうなのだが、間違った言動はまずその間違った言動の理路を分析するべきであって、それを口にする人々の心理やら背景やらについて云々するには慎重であるべきだとおもう。単純にそんなのわからないだろうということの他に、それを指摘しても不毛だと思うからだ。例えば、オウムに入信するような人間はどこか現実感のないサブカルでとか、ネトウヨは今までインターネット文化に触れてこなかった層が急にネットデビューしてとか人に言われ、仮にそれが図星だったとして自分の思想や言動を改めるだろうか。私ならとりあえず、バカにしやがって何を偉そうに、と思いますね。