自分の名前を知る

わたしは食事をするときできるだけ獣肉より鶏肉、鶏肉より魚、魚より植物を選んでいるのだが、田上孝一『環境と動物の倫理』(本の泉社、2017年)を読んでいてこういう生き方をセミ・ベジタリアンとかデミ・ベジタリアンと言うのだと知った。

また、人類が工場的畜産をやめるには肉の消費量を減らせばよいので、全ての人が完全に肉を断つ必要はない、肉は一切食べないが乳製品や卵は無制限に摂取するベジタリアンより、肉も食べるが動物や地球環境への負荷がより少ないものを選ぶセミベジタリアンの方がより目的にかなっているという考え方も示されていて、心強くおもった*1

 

またツイッターを見ていて、少なくない非肉食者が、苦痛を与えられる動物が可哀想だとは思わない/思えない、あるいは動物に愛情も関心もないと告白しているのを知って嬉しくなってしまった。

彼らは、同情や愛情にもとづくのではなく、暴力や搾取は悪だと判断するから肉を食べないと言うのだ。また、自分は動物が好きだが肉を食べないのは動物好きとは関係ない、自分が嫌いな相手に対しても道徳的でなければいけないのと同様、自分が好きだということを善の理由にしてはならない、と言う人もいる。

共感や義憤といった感情を持たずに道徳的であることは可能か否かということをよく考えるので、可能だしむしろそうでなければならないと考える人たちの存在は私に大きな勇気を与えてくれる。

*1:このビーガンではなく「ビーガン志向的食生活」という理念は、同じ著者の『実践の環境倫理学』(時潮社、2006年)ですでに提出されている。